合理的、合理的。
便利さがあまりにも普及すると、その便利さが人間にも及ぶのだ。
それこそが、インフルエンサーの皆様方が高らかに叫ぶ「合理的」や「合理性」なのだろう。
しかしまあ、人ってそんなに合理的に生きられたっけと疑問に思う。
身の回りのものを合理化して、人間関係も合理化していく。
拙速は罪であり、無駄こそが罪となる。
...そこに「人間」はいるのだろうか。
いや、順応していける人は軽々と、もしくは学びながら、踏ん張りながら生きていくのだろう。ではそうでない人は?
淘汰といって了うのはあまりにも華がないのではないか。
折角の現代社会、人間はもう少し生きやすい世の中を構築してもいいのでは。
だが、今の世の中を心地よいと、生きやすいと感じている人も確かにいるのだろう。
そうした人々が、「文化」や「雰囲気」、そして「規則」を作っている。
では私はどうやって生きていこうか。
誰かが作った規範というバスに乗って生きるのか、自分の足で歩きながら生きる方法を見つけていくのか。
まだまだ答えは出ないが、頑張っていきたいと感じた今日であった。
それではまた。