紅葉の映える日々。

Life is too short to drink bad sake.

卒論は禅である。

 

今日のタイトルの言葉は、研究室の友人が発したものである。

彼曰く卒論は自分と向き合うことそのものであり、自己を映す鏡たり得るものであるとのこと。

なるほど、まさしくその通りだ。

卒論はその人が四年間でどれくらい学び、どのような思考形式を得られたのかが如実に発露する。

その人にとって『学問』がどれくらいの重さを持っていたかが顕れてしまうのだ。

 

昨今、教授陣からは学生が学ばなくなったという声がひっそりと、しかし大きく聞こえてくる。

それはその通りなのだろう。

誰も彼も合理性を追い求め、世の中へ適合することに夢中になっている。

いや、必死になっていると言った方が正しいか?

まあどちらでもいいのだけれど。

そこで置いて行かれるのが学問であり、教養だ。

しかし人生を長期的に見たとき、やはりこの二つは必要だと私は思うのである。

 

多くの大学生にとって、卒論は足枷でしかないのかもしれない。

しかしどんなことでもやりきれば、それは自分への糧になる。

そういう意味で、卒論は禅なのだろう。

卒論は大学での自分であり、自分の心そのものなのだから。

というわけで着実にやっていこう。

提出期限まで50日を切ったけど、まだいける。

なんとなくだが、そう思った今日であった。

それではまた。

 

 

善の研究

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ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

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