紅葉の映える日々。

Life is too short to drink bad sake.

私と直感と論理性。

私は人生の大半を本能と直感で生きてきた存在である。

これがいいな、思ったらすぐに飛び付く。

逆に琴線に触れなければ見ようともしない。

そんな風に生きてきた。

そこには直感と後から生まれる言語性がある。

この二つが合わさってようやく論理的なロジックを組もうとするのだ。

 

そうであるから私の話に論理性は最初存在しない。

話しているうちに脳内で整理し、論理的に帰結しようと心がけるのだ。

そんなもんだから面接では苦労する。

まるで今考えたような(その通りであるからなにも言えないのだけれど)話し方になってしまう。

これがどうやらコンサルの人にはお気に召さなかったらしい。

私の対コンサル就活は壊滅した。

 

論理的に話し、行動する人は見ていて分かりやすい。

そんなこともあるから私は憧れたのだろう。

しかし私はかなり直感的な人間だと、この就活を通じて理解できた。

なれば芯はこのままで、もう少し論理的に直感を後付けできれば世界が広がるのではないか。そう思ったのである。

 

心に直感を。

脳に本能と理性を。

そして口には論理性を。

これこそが、最上の私なのではないか。

そう思った今日であった。

それではまた。

 

 


5分で論理的思考力ドリル

5分で論理的思考力ドリル

 

 

あたかも普遍化されたかのように語られる情報が私を傷つける。

 

言葉の通りである。

一部の人間やネット社会では、「それ」ができて当然、できなければ問題ありのような文面を見かけることがある。

なぜかそれが私を苦しめるのだ。

 

そんなもの気にしなければいいのだろう。

しかし、それに傷つくということは私の内心が多かれ少なかれその意見に同意しているということなのだ。

今まで全く気にしなかったのに。

気にしないでも生きて来れたのに。

大学生になり、少し視野が広がったせいだろうか。

 

新しいモノを知った。新しい世界を知った。以前より人と交流するようになった。

しかし、しかし、「私」が。

「私」が傷つくのが怖い。私の良さが失われるのが怖い。

変なプライドが私に向かってくる。

だがこのプライドは私そのものなのだ。

たとえ愚かと言われようが、七十億人が変えた方がいいと言おうが、私には譲れない部分がある。

折り合いを付けた方がよりよい人生を送れるのだろう。

 

けれど、まずは自分で最善を考えよう。

誰かが言っていたなんてことこそ、自分で吟味しなければならないのだから。

自分の軸を。

自分の生き方を。

そうやって強く生きていきたい。

そう思った今日であった。

それではまた。

 

 

法治国家観の展開-- 法治主義の普遍化的近代化と現代化

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ノーマライゼーションの原理―普遍化と社会変革を求めて

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西成(釜ヶ崎)にて思いを巡らせる。

 

私は大阪に泊まるときは西成(釜ヶ崎)と決めている。

なぜならとても安いからだ。

個室で一泊2000円以下にできるのは、民泊を除けば西成くらいだろう。

 

こんなにも安いのはなぜなのだろうか。

これはもともとドヤ街であったため低料金の宿舎が並んだことと、それは大阪における西成を悪い意味で特別視する雰囲気が再開発をためらわせ地価の抑制を招いたからという二点が原因ではないかと思うのだ。

 

関西圏の大多数にとって西成とはタブーそのものだ。

そしてこの日本においても、ドヤ街という存在は表だって語られない。それは西成が、近代における資本主義社会の発展と高度経済成長期から溢れ出たモノを終結させたがゆえに敢えて目を背けられてきた場所だからである。

 

しかし、我々は今一度真っ正面から西成を見なければならない。

それは以前のブログでも書いたが、此処こそがこれからの日本の縮図となり得るからだ。

現代は自己責任が叫ばれる時代である。

個人にとって国家は相対的な地位が低下し、自分とその周囲だけを案じる人がこれからどんどん増えていく。しかしそれは、個人が悪いわけではない。むしろ近代国家が担うべき役割そのものが低下した証左であり、国家にその責任がある。

しかし今も昔もそうだが、国家は個人を護らない。一方で国家は集団は保護する。その保護される集団がどんどん減少しているのが、現代なのである。故に我々はより良い集団に入ろうとするか、個人でより独立してトランスナショナルに生きようとするのだろう。

しかしそんな生き方でも、国家が制定した社会基盤やセーフティーネットを使わないことはないのだ。国家がなければ社会が存在せず、社会がなければ社会的動物である人間は存在できないのだから。そういう意味では、相対的に地位が低下した国家でも十分に存在意義があり我々に価値を提供してくれているののだ。

 

では国家に保護されず、自己責任の下社会のセーフティーネットから疎外された存在はどうなるか。それこそフリーターとなり、日雇いかアルバイトにいそしむこととなる。それが西成なのだ。西成は我々に、社会の現実を見せてくれる。ITベンチャーに勤める人々が決して語らない現状を。

故にもしも、企業や個人が自分だけよいと考えるのではなく、真に社会貢献を行い世界を発展させたいのなら、西成を見て考えるべきなのだ。この世にどのような人々が生きているか。そこではどんなサービスが行われているのか。どうすれば真によりよい世の中を実現できるか。

西成は、それを我々に語りかけてくるのだ。

 

だからこそ私は大阪に来るときは、キタで遊びミナミに泊まるのだ。より広い視野を。より多様な現実を。これからの日本を。知覚し、認識し、理解し、思考するために。それこそが今の私に必要なことで、将来役立つことだと信じて。

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ホルモン屋「やまき」にて。美味くて安い最高の店であった。

それではまた。

 

釜ヶ崎のススメ

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叫びの都市: 寄せ場、釜ヶ崎、流動的下層労働者

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寝落ちしました。

 

なんか気がついたら0時を過ぎていた。

恐るべし御布団。

睡魔は私を制御する。

 

というわけで、風呂に入って歯を磨いてもう一度寝ます。

私にとってよい明日を。

全ての人にとってより良い未来を。

それではまた。

 

ぐっすり ふしぎと眠くなる音楽 Good Sleeping Music

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睡眠の音楽 ? 睡眠導入, 音楽療法, リラックスした音楽, 自然の音, ヒーリングミュージック, 睡眠瞑想, バッタや鳥,海洋波

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睡眠のための自然音: チベットの癒しの音

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自分の軸を持って生きていこう。

 

突然だが私は自己を持っている人が好きだ。

それは自分にとって譲れないものを持っているということであり、それを声高らかに主張できるということでもある。

迎合よりも独立を。

同一化よりも差別化を。

それこそが70億が犇めくこの地球で生きていく指針となり得るのではないか。

 

故に私は彼ら彼女らを愛そう。

誰が決めたともわからない人としてのレールを踏み越えていく存在こそが、ルールを変える第一人者となるのだから。

そして私もそう生きていこう。

自分が歩いた道こそが、自分が選んだ道なのだから。

軸を持って。芯を自覚して。世界に旗を掲げて生きていけ。

それではまた。

 

 

 

帰ってきた。

家に帰ってきた。

やはり自分の居場所があるというのはいい。

横になるだけでHPとMPを回復できる。

 

人間には居場所が必要なのだ。

そしてそれは、個人が抱える楽園でなくてはならない。

我々は心に理想郷を描き、現実に投射する。

そんな場所こそが、人を元気付ける根元になると思うのだ。

それではまた。

 

 

今あるもので「あか抜けた」部屋になる。

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男子部屋の記録

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寝るのが好きなのです。

 

私は寝るのが好きだ。

特に昼寝。

午後3時から5時、6時まで寝るのが最高なのだ。

 

というわけで今日の午後は寝ていた。

英気を養うのもたまには必要なのだ。

今日の成果を糧として、また明日も頑張っていこう。

明日は面接だし。

 

よりよい明日を求めて。

よりよい人生を目指して。

それではまた。

 

 

今日 (福音館の単行本)

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今日のことわざ

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今日も どこかで

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