紅葉の映える日々。

Life is too short to drink bad sake.

西成(釜ヶ崎)にて思いを巡らせる。

 

私は大阪に泊まるときは西成(釜ヶ崎)と決めている。

なぜならとても安いからだ。

個室で一泊2000円以下にできるのは、民泊を除けば西成くらいだろう。

 

こんなにも安いのはなぜなのだろうか。

これはもともとドヤ街であったため低料金の宿舎が並んだことと、それは大阪における西成を悪い意味で特別視する雰囲気が再開発をためらわせ地価の抑制を招いたからという二点が原因ではないかと思うのだ。

 

関西圏の大多数にとって西成とはタブーそのものだ。

そしてこの日本においても、ドヤ街という存在は表だって語られない。それは西成が、近代における資本主義社会の発展と高度経済成長期から溢れ出たモノを終結させたがゆえに敢えて目を背けられてきた場所だからである。

 

しかし、我々は今一度真っ正面から西成を見なければならない。

それは以前のブログでも書いたが、此処こそがこれからの日本の縮図となり得るからだ。

現代は自己責任が叫ばれる時代である。

個人にとって国家は相対的な地位が低下し、自分とその周囲だけを案じる人がこれからどんどん増えていく。しかしそれは、個人が悪いわけではない。むしろ近代国家が担うべき役割そのものが低下した証左であり、国家にその責任がある。

しかし今も昔もそうだが、国家は個人を護らない。一方で国家は集団は保護する。その保護される集団がどんどん減少しているのが、現代なのである。故に我々はより良い集団に入ろうとするか、個人でより独立してトランスナショナルに生きようとするのだろう。

しかしそんな生き方でも、国家が制定した社会基盤やセーフティーネットを使わないことはないのだ。国家がなければ社会が存在せず、社会がなければ社会的動物である人間は存在できないのだから。そういう意味では、相対的に地位が低下した国家でも十分に存在意義があり我々に価値を提供してくれているののだ。

 

では国家に保護されず、自己責任の下社会のセーフティーネットから疎外された存在はどうなるか。それこそフリーターとなり、日雇いかアルバイトにいそしむこととなる。それが西成なのだ。西成は我々に、社会の現実を見せてくれる。ITベンチャーに勤める人々が決して語らない現状を。

故にもしも、企業や個人が自分だけよいと考えるのではなく、真に社会貢献を行い世界を発展させたいのなら、西成を見て考えるべきなのだ。この世にどのような人々が生きているか。そこではどんなサービスが行われているのか。どうすれば真によりよい世の中を実現できるか。

西成は、それを我々に語りかけてくるのだ。

 

だからこそ私は大阪に来るときは、キタで遊びミナミに泊まるのだ。より広い視野を。より多様な現実を。これからの日本を。知覚し、認識し、理解し、思考するために。それこそが今の私に必要なことで、将来役立つことだと信じて。

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ホルモン屋「やまき」にて。美味くて安い最高の店であった。

それではまた。

 

釜ヶ崎のススメ

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叫びの都市: 寄せ場、釜ヶ崎、流動的下層労働者

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