我々は声高らかに主張する。
我々は歴史に規定されているのだと。
過去の積み重ねがあってこその現代であり、過去を分析し理解するのに歴史こそが役に立つのだと。
ある人は言った。
「西洋史を勉強するのであれば、旧約聖書をまず読むことから始めろ」
と。
これは歴史を規定してきた宗教および思想が如何なるモノであったかを理解しなければ、我々は歴史にすらたどり着けないことを示唆する言葉だろう。
またある人は言った。
「ワインを知りたかったらまず西洋史を一通り頭にたたき込め」
これはワインという酒の成立から発展の過程が、歴史というものに規定されおりそれの理解なくしてはワインを理解することなぞ出来ないということを暗示している。
要するにだ。
我々が今日教養として語るモノは、その総てにおいて歴史を保有しているし、同時に歴史に規定されている。ちなみにこれは人間も例外ではない。
今はやりの仮想通貨だって、完全に理解するには貨幣の歴史と近現代経済史、社会史が必要になる。
宇宙の真理に最も近い数学だろうと、紀元前の偉大なる発見の積み重ねから成り立っている。
そう。
この世に歴史のないものなど存在しないのだ。如何なる新しそうなものであろうと、それまでの過去という積み重ねられてきた歴史が生み出した存在なのだ。
そうであるが故に、我々は歴史を語らなければならない。
昨今マーケティングで話されていることは、物品のブランディング化には人を引きつける物語が必要だということである。
その物語は、一朝一夕で形成されるわけではない。物語には、人の心を動かす「歴史」が伴っていなければ何の説得力も持たないのだ。
歴史はどこにでもあるが、我々はそれに気がつかない。しかし、それは世界そのものであり、現代を構築する土台なのだ。
だからこそ。
もし貴方がより深く知見を持ちたいのなら。
もし貴方が今の世界を知りたいのなら。
もし貴方がモノに価値を見いだしたいのなら。
歴史に目を向け、語ってみるとよい。
それこそがこれからの時代に必要になるだろうから。
個人的な考えでは、歴史を学びそれを理解する思考を身に付けているかどうかは、これから人々の階層を分離する要素になり得ると思う。
だからといって私は実利だけで歴史を推すわけではない。
自分の好きな何かの歴史を知り、理解することはきっと楽しいことなのだ。
なので私は歴史を語ろう、と声を大にして言う。
そうであった方が、きっと人生が面白くなるから。
それではまた。
↓歴史について知りたかったら、まずこの本を読もう。カーが提唱した概念は、現代でも鮮明に息づいている。
- 作者: E.H.カー,E.H. Carr,清水幾太郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1962/03/20
- メディア: 新書
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