紅葉の映える日々。

Life is too short to drink bad sake.

果てのない窮理を追い求めて。

 

突然だが、私は何かを極めたいと思って生きている。しかしこれは全く以て簡単なことではない。なぜならその分野に詳しくなればなるほど、この世の事象がいかに複雑で深いかを思い知るからである。

 

日本史を研究している私がそれだ。私の友人が言った。「日本近代史という概念はふさわしくなく、世界史の中にある日本地域史と考えた方がいいのではないか」と。

さもありなん。一国史の概念は、政治、経済、文化、如何なる対象にすらもはや適合できない。世界の中に日本は存在し、影響を受け影響を与えているのだから。

故に歴史学を学んでいると、歴史学以外の知識と理解が必要になってくる。ただでさえ歴史学に正解なんぞなくどこまでも未知の世界が広がっているのに、そこに別の学問をぶち込まないといけないのだ。いや、別の学問という言い方は適切ではないのかもしれない。歴史学社会学も経済学も国際学も、この世の事象を解明するための大きな手法である「学問」が細分化しただけなのだから。

 

いずれにせよ言えることは一つだ。学べば学ぶほど、知らないこと、学びたいことが増えていく。そしてそれを追い求めることが、窮理なのだ。窮理は一生かけても終わらないかもしれない。というか絶対終わらない。学べることがなくなった世界ほど恐ろしいものはない。何の未来もなく、発展もないのだから。

故に私は学び続ける。それは理論的なものだけでなく、感覚的なものも。果てのない窮理を追い求めるには、ただひたすら努力と成果を積み重ねなければならない。しかしそれが楽しいのだ。まだ私には学べることがある。知ることができる。それだけで、明日を生きていたいと思えるのだから。

それではまた。