どこか遠くの世界で発せられたかのように聞こえるこの言葉は、実はもう身近にあるのです。
コロナウイルスはウイルスも撒き散らしましたが、同時に不安も撒き散らしました。
そうした芽がそだちはじめてきたのが、ちょうど今なのです。
五月には配属が決まると聞いていたのですが、このご時世ではどうなるかわかりません。
そもそも四月中に収束する見通しは立っていません。
そうなのです。
結局のところ、不安とは無明の状態に似ています。
私たちは光を追い求めていますが、それが全く見えないからこそ恐ろしいのでしょう。
どれだけ光を求めても、私たちにできることはたかが知れています。
けれど。
けれど、手力は我がもろ腕にある。
三好達治が作曲した東京工業大学の大学歌に登場するこの一節は、私がとりわけ好きな言葉である。
というか全大学の校歌の中で、東京工業大学のが一番好きなのだけれど、それはまあ置いておこう。
私にはまだ多少覚えが悪いがフル稼働する脳がある。
もう少し筋肉をつけたいがしっかり動く両手がある。
そして、問題無く稼働する両足がある。
なればできることはあるだろう。
何となしに、そう感じた今日でありました。
明日はすぐやってきます。
明日は何ができるのでしょう。
しかし、何かをやりたい、そして何かを残したい。
そして、あらゆるものを続けていきたい。
そう自分に誓って。
それではまた。