コロナウイルスによる自粛ムードは大学にもおしよせてきている。
卒業式は大幅な短縮と一般学生、保護者抜きでの開催。
学位授与式はコースごとに少人数小部屋で、立食パーティーは中止。
そして夜に予定されていた謝恩会も中止。
様々な計画変更に追われている。
しかし学生の身分だからいいものの、生活が懸っている人たちはだいぶ困難だろう。
私についても、おそらく景気が下向きになるこれからにおいて、初任給が下がってしまう可能性もある。
自分の将来は不安ではないが、この国の将来は不安しかない。
このもやもやはいったいどうやって鎮めればいいのだろうか。
結局の所このウイルスが蒔いたのは、「不安」という形がないもののあまりにも大きな蜃気楼なのだろう。
実態は見えず、被害も見えず、ただおぞましいことが起きるであろう昏い将来のみがそこには映し出されている。
医療技術は進歩したが、それは人間の心が進歩したということを同時には意味しなかった。
それが私にはなによりも恐ろしい。
そして何よりも問題なのが、不安に付ける薬は存在しないと言うことだ。
ただ知識と経験、そして理性だけがそれを克服するための材料となる。
それを理解することも、また理性と知識と経験をフル活用した結果なのである。
頭を回し、思考を重ねること。
現状を冷静に分析し、やるべきことをしっかりと進めること。
非常時には、こうした姿勢が大切なのだと改めて感じられた今日であった。
明日も冷静に、煮えたぎる蒸気機関車の炉を制御しながら生きていこう。
それではまた。