卒業論文で、最高評価をもらった。
正直に書くが、最高に嬉しい。
この一年に、いや、この4年間の学びに価値があったのだと証明された気がした。
元々不器用な私は、大学で人間の見真似をして生きるのが上手くなった。
周囲の環境や人間にもある程度気を配れるようになった。
言い換えれば、ある種の「社会性」を獲得したのだ。
しかし、私の本質はあまり変わっていない。
何者かでありたいし、何らかの成果を残して認められたい。
こうした感情が今もある。
けれど。
自分を認めてもらうには、他人を認め、そして自らが変わらなければならないということを、私はこの4年間で知った。
私の卒論に関わる根底に、集団の成立には集団外の「他者」が必要であり、前提とされるという論がある。
これは個人と個人にも言えるのではないかと、私は思うのだ。
他人を確立した他者だと認め、自分が変わっていく、又は歩み寄っていくことで人は認められる。
さらに言うのであれば、認められるための方法は上記のことを行いながら成果を出すことだろう。
ここまで色々書いてきたが、これは私がそうであろうと心がけてきたことである。
他人を認める。
社会性のある振る舞いを心がける。
されど、自分を見失わず発露させる。
広い視野を持って、学び続ける。
この集大成が、卒業論文であった。
だからこそ最高の成績を残せて嬉しかったし、学会に行けるという事実も胸を震わせたのだ。
ああ、大学に入ってよかった。
そう心の底から思えたことは、私の人生の支えになるだろう。
しかし、過去の栄光に縋ってはならない。
私は学び続けないといけないし、何より学び続けたい。
だってそれこそが私なのだから。
最高の気分に浸れた今日であった。
それではまた。