今日20回は『15の夜』を聴いていた。
別に1980年代の大学生や尾崎豊ほど深刻に悩んでいるわけではないが、それでも絶賛悩み中の私には中々刺さったからだ。
今は自由なのに、その自由が重い。
人は自由の刑に処されているとフロムは言ったが、まさしくその通りだ。
15なんぞとうに超えてしまったが、自分が何か分からなくなる時はある。
そんな感情は、此の曲とマッチした。
大学帰り、坂を下って風に当たる。
昏い夜の帳が、視界を覆っていた。
しかしそれでも、ただ風と目の前だけを見ているその時間だけは、自由になれた気がしたのだ。
それではまた。