紅葉の映える日々。

Life is too short to drink bad sake.

自身ってなんだろう。

 

誰かの言葉を聞いた。

誰かの文章を読んだ。

誰かの意志を理解した。

 

できている人は、いつも同じ事を言う。

それを無意識的に、過去の経験的に成せてしまう人は、それが人もできることだと思っている。

しかし私は何をこんなにもおそれているのだろうか。

 

生きることは大海原を一人進んでいくことだ。

少なくとも私はそう思って生きてきた。

しかし人間は一人では生きていけない。

それは自己の社会的生存に他者を必要とするという意味で在り、心を許しあえる存在が

必要になるということである。

前者は分かる。後者も理解できるようになった。しかし、まだ私は後者を完全には知らない。それを殆ど知ることなく生きてきたのだ。

 

しかし私は人生の大部分を幸福に生きてきたように思う。それは事実であるし、変化しない定理そのものだ。しかし世の中の人々はさも知ったような顔をして幸せの定義を投げかけてくる。これが善意なのだからなおさら厄介だし、罪悪感を感じさせてくれる。

人ができていることを、自分ができないということが何を意味するのかを考え出すと頭がぐわんぐわんしてくる。

ああ、とかくこの世は生きにくい。

 

有り得ないことではあるが、この世界で生きているのが私一人だったらと思ったことはある。あの、人間にはどうしようもない獣である「比較」がムクムクと顔を出すのは、畢竟人間がこの世にいるからだろうみたいな黒い感情が一瞬、少しだけ湧いた。

しかし、そんな考えは私が人生で出会ってきた素晴らしい人々のことを思い出すとすぐ霧散する。彼等彼女らは、色々な面を持っているが素晴らしい輝きを放っていた。人間は黒いモノを抱えながらも、強く気高く生きれるということを教えてくれた。

 

いずれにせよ私は楽しく生きている。なのでそこら辺から飛んでくる意見については、それがより自分を幸せにするかと天秤にかけてみようじゃないか。

そうでなかったとしても、未知なることは私をワクワクさせてくれる。足がすくむけど、それもまた将来の幸福に繋がると考えればいいだろう。ああ、この世はまだまだ未知に満ちている。

他人を否定する勿れ。

他人の考えを一度自分の価値観に入れてみるべし。

そして、他人は自分以外の素晴らしき統てであると。

そう思いながら生きていこうと思った。だってそっちの方が人生楽しそうだし。「比較」の獣とは長いつきあいになりそうだが、それもまあなんとかなるだろう。だって私はまだ何者にもなれていないが、私には成れているのだから。

それではまた。