私は基本的に他者にあまり関心がない。
しかし、この宇宙船地球号で暮らす70億人の存在を愛している。
それは何故か。
私が知らない存在全ては、私のセカイを維持するための構成員だ。
このセカイは、誰か一人でも、それが生まれてから死ぬまで一度たりとも交流がない人であっても、その人が居なければ成り立たない。
逆に私も誰かのセカイにおける構成員なのだ。
なれば愛そう。
平井銀二は言った。
裏に長くいると、周りは殺したい連中ばかりだよ。でも、殺すな。オレたちは、世界を広げてなんぼの人間だ.殺す人間の世界は……広がらない。必ず閉じていく……!」 (『銀と金』)
人を殺す人間は、自らの世界を閉じる存在だと。そしてそれは、自分だけでなく誰かの、いや、セカイそのものを閉じる存在なのだ。
佐山・御言は言った。
私はここに命令する! いいか? 彼らを失わせるな。そして彼らを失うな。何故ならば、誰かが失われれば、その分、世界は寂しくなるのだからだ。」 「解るな!? ならば、進撃せよ(アヘッド)、進撃せよ(アヘッド)、進撃せよ(ゴーアヘッド)!馬鹿が馬鹿をする前に強く殴って言い聞かせろ! そしてこちらに連れて来い! それが解ったら言うがいい!」
「さあ、……理解し合おうではないか」 (『終わりのクロニクル』)
誰かを失うことは、それだけ寂しいことであり、セカイのリソースを少なくすることなのだ。
故に愛そう。
セカイという、見たこともない創造の共同体をより広げるために。
自分という、この世で唯一であり至高の存在をより広げるために。
貴方の生を愛そう。
貴方の存在を愛そう。
自分が愛されるために。
そうやってセカイは今日も回っていくのだ。
なお本記事から分かるように、私にとっての人生の理想像は佐山・御言である。『終わりのクロニクル』の主人公である当キャラは、(私の中で)ラノベ主人公の中で5本の指に入るほどのキワモノであり、しかしどこか人間臭い。
薄れてきたとはいえカワカミャーである私は、関心がなくともやはり人間が好きなのだ。
舞台装置ではない「人間」を愛そう。
そしてこう叫ぼう。
それこそが人生だ、と。
最後になるが、人間という作品を考える上で『銀と金』と『終わりのクロニクル』は非常にオススメである。前者は人間の闇と光を、後者は人間の陰と陽をきっちり書き切った作品だから。なのでぜひ一度読んでみて欲しい。
それではまた。
- 作者: バックミンスターフラー,Richard Buckminster Fuller,芹沢高志
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