新元号が発表された。なんでも「令和」とのこと。13時時点では変換できなかったが、このブログを書いている時点では一発変換できるようになっていた。これもシステム屋さんの努力の結果なのだろうか。
さてこの元号、うちの研究室ではちょっとした話題になっていた。予想を立てて爆死した人、万葉集からの出典であることに驚いた人など。皆が思い思いの考えを抱いていた。そんなときに教授が入ってきた。
「今回の元号は中国から離脱しようとする政権の意図が入ってるんじゃないの?」と教授は言った。
「そもそも元号なんて中国由来じゃないですか、和中折衷と洒落込んだんじゃないんですか」と私の友人が言った。
「和はつい最近も使われていたし、以外とすんなり受け入れられるんじゃないでしょうか。響きもなかなかいいですし」と私が言った。
「我々は歴史を学ぶ身として、時代に楔を打ち込まれる瞬間を目撃した。それはきっと人生を豊かにしてくれるだろう」と我々の中の誰かが言った。
「前提としてキリスト教由来の西暦がスタンダードになる必要なんてないんじゃない?宇宙歴とか早く制定されないかなあ」とSF好きの人が言った。
いずれにせよたった一つの社会的事象から議論が生まれ、尽きることなく続いて研究室を満たしたのだ。これこそが私が求めていた研究室像であり、最高学府であった。この議論をできただけで、もう私は満たされたのだ。
ありがとう令和。新しい時代よ。次の時代も、こんな議論が楽しく活発にできる時代でありますように。
それではまた。