紅葉の映える日々。

Life is too short to drink bad sake.

成長を叫ぶことは悪いことではないのです。

 

なんだか昨日今日のはてなでは若者の成長についての議論が活発に行われている。

 

delete-all.hatenablog.com

p-shirokuma.hatenadiary.com

両者のブログについては時たま覗く程度ではあるが、個人的に同意できる部分が多かった。これについて一就活生の立場から、少し若い人たちの、とりわけ"意識が高い"か"必死っぽく見える"彼等彼女らの話をしていこうと思う。

 

世の中の就活生や若者の全てがその年齢で社会に通用するスキルを持っているわけではない。本当にごく少数の例外を除いて、若者は社会という広大無辺な大地に自力で根を下ろせていない。なぜなら彼等彼女らの大半は、「学生」という身分と「親」による庇護によって社会で生存しているからにすぎないからだ。

故に不安なのだ。社会に出ることは独り立ちすることであり、自分の人生を自分で構築していくことに他ならない。この感覚については今も昔もあまり変わっていないだろう。

では今と昔で異なっていることは何か。それはやはり、日本や世界を取り巻く環境の変化、より正確に言うのであれば日本の国家や経済としての凋落だろう。

頭のいい学生は皆それに気がついている。いや、本当は頭の良さなど関係ない。見て行動をしているか、逃避しているかのどちらかでしかないのだ。何をだって?そりゃあこれからの日本という国があまり明るい展望を抱けていないこと、そしてその事実が自分の将来に昏い幕を下ろしていることを。

だからこそ"意識が高い"学生や就活生(私も)は理論武装しなければならないのだ。私は成長してきた、成長できる人材なのだと。そうしなければ、荒波が待ち受ける世界に漕ぎ出せなくなってしまう。震えてビビってしまう。

その心の震えを乗り越えるため、または隠すため、または忘れるために、我々、特にまだ社会に根を張れていない学生は声高らかに叫ぶのだ。「私は成長できる」と。

それをあまり否定しないであげて欲しい。自発的に成長を叫ぶ学生も、周りがそう言っているから自分も叫ばなければならないと考えている学生も、それを叫ばなければ不安で押しつぶされてしまうかもしれないのだ。だからこそ就活生は、若者は形だけであろうと叫ぶのだ。中身が伴っていなくても、たとえその後どうなるか分からないとしても、この未確定で進行している現在に流されないように。

 

だって我々は文明の進歩を感じながらも、あらゆる所から発せられる「将来の日本はヤバい」という情報を浴びながら育ってきたのだから。個人の生産性を高め、クリエイティブな仕事をすることが、これからのビジネスパーソンだと教えられてきたのだから。なれば形だけでもいいから叫んだっていいじゃないか。白銀会長だってこう言ってた。

 

 「ファッキン 俺の演技は理想のスペック いつか本物になるためのステップ」 

 『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』11巻第98話 早坂愛は話したい より引用

 

まだ若者は未完の器なのだ。そんな存在が不安を紛らわせるように、或いは自分に制約するかのように演技で叫んだっていいじゃないか。いつか本物になるために行動すればいいのだから。そしてそれができるのが社会なのだ。なので一足先に社会へ旅立った皆様方は、若者の叫びを見て悩みの一つを聞いてみるくらいの後押しをしてもいいのではないだろうか。そうすれば演技をしている学生も、真に成長する存在へと変われるはずだ。

みんながみんな不安を抱えて生きているのです。それを許容してやって欲しいのです。

それではまた。

 

 

凶器は壊れた黒の叫び (新潮文庫nex)

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